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2020.12.04 はじめの一歩。

お菓子の会を最初に開いたのは、長男がようやくお座りし始めたころでした。

けれどもそれから間もなく、長男の小麦アレルギーが見つかったこともあって、
お菓子作りからは離れます。

授乳をやめるまで、私自身も小麦の除去をしていました。
不思議とお菓子を食べたいとも、作りたいとも思いませんでした。
色々と必死過ぎて、その頃の記憶はあまりありません。

長男は幼稚園に入る前には、何でも食べられるようになりましたが、
入園直前の3月には東日本大震災が起こり。
沢山の方がつらい思いをされている様子を知っている中で、
必ず取らなければならない食事とは違い、生活に絶対必要ではない「お菓子を作って過ごす」という気分にはなれませんでした。

次男も生まれ、なかなか自分自身の仕事について考える余裕はなかったのですが、
長男を妊娠中に登録していた社会福祉協議会の「できますボランティア」から、「障がい者施設でのお菓子製造のアドバイスをしていただけませんか?」と連絡がきて、
再びお菓子とかかわることになりました。

自分の経験が誰かの役に立つのは本当に嬉しかったですし、
お菓子って本当に奥が深くて面白いと、あらためて思いました。

またお菓子の仕事がしたい。


そんな時に夫に辞令が出て、東京から高松へ。


その後も家族に色々と災難が起こり、お菓子を作って過ごす余裕は全くない状況。
そんな中ふと、高松には cuoca があったことを思いだし、気分転換もかねてお店に行ってみました。

製菓学校で発注を担当していたころは、当時新宿三越に入っていた cuoca へはよく小ロットの材料を買いに行っていて。
いつまでも見ていたいワクワクするお店です。

「レッスン講師募集」


初めて行ったクオカショップ高松で張り紙を見つけた時、やってみたくてたまらない気持ちと、自信のなさとでドキドキが止まりませんでした。
(多分ずっと募集の張り紙はあったのでしょうが)今応募しないと、このチャンスはないかもしれない。
でももう少し技術に自信がついてから…。

ちょうどその時読んでいた宮本輝さんの小説の中で、
すし屋の弟子がお店を持とうか迷っていると、親方が「自信が出来てから店を持とうなんて思っていたらいつまでも店は出せない。お客様から色々と言われて成長させて頂くのだ。」という一文があり。

思い切ってお店に連絡を取り、面接とテストレッスンを受けさせて頂くことになりました。

それから夫に徳島勤務の辞令が出るまで約3年間。
クオカショップ高松は、
私自身が、お菓子作りやお菓子のレッスンをすることについて沢山学んだ大切な場所です。

今、徳島の色々なところでお菓子の講師をさせていただけるもの、クオカでの経験があったからだと思っています。


クオカショップ高松があったところは更地になっているそうで。
(見ると泣いてしまいそう。)


クオカで取り上げたレッスンについても、記録として時々綴っていきたいと思います。







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