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2025.08.14 センスがいいって何だろう。

ずっとずっと「センスがいい人」と、そうでない人の違いは何だろうと考えています。(今回は、おしゃれ、かっこいい、美しい、洗礼されている、といった見せ方のセンスの話。「言葉」「生き方」「経営」「勝負」など、いろんなセンスがあるけれど。)
「良くない」見せ方の理由を、手っ取り早く「センスがない」の一言で終わらせてしまいがちだけど、もし「センス」が、生まれ持ったものではなく訓練で上達できるものであれば、言語化して体系化したい。それができたら努力でセンスを手に入れることができるんじゃない?

間違った方向の努力ではなく、正しい方向の努力。(このことはまた別の機会に書くとして、今日はセンスの話。)


良いものや美しいものに積極的に触れ、知識としてインプットしていくことを、センスを磨くって言いますよね。
でもセンスがない人は、そもそも興味がないから見ようとしない。いや見てるんだけれども、「それ」として見ているだけで、「それ」は「それ」で終わってしまい、分析して自分のアウトプットに活かそうとしない。

だから、センスが良い人になりたいのであれば、自分自身がまず「センスが良い人になる」と決めることから始まると思うのです。

これは勉強やスポーツも一緒で。
例えば「○○大学に入る」と自分が決めるから、模試で〇点を取ると決めて、それに対する勉強(インプット)をし、模試の結果が思わしくなければ分析してさらにインプットするか、別の方法でインプットする。自分が決めた「○○大学に入る」に近づけるようにする。例えばスポーツで自分が「勝つ」と決めるから、トレーニングを重ねながら分析し、工夫をして「勝つ」に近づいていこうとする。

自分で決めていない人にとってのインプットの時間は、ただの時間の経過と変わらない。

だからお菓子を作る時に「センスがいい人になる」と決め、
このデコレーションにしたのはなぜか。
この色合いにしたのはなぜか。
この組み合わせにしたのはなぜか。
この写真の構図にしたのはなぜか。
全部言葉にして、分析し、アウトプットを続けていれば、センスが磨けるかもしれない。

そんなことを考えて9月のお菓子を作っていました。

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